『トリックスター(上)』
ムリアル・グレイ/1996年/321ページ
カナダの静かなスキーリゾートで残虐な連続殺人事件が起きた。死体はどれも心臓が肛門に、ペニスが口に押し込まれていた…。インディアンの血を引くサムは、白人社会で白人の妻と共に平和に暮らしていた。だが、彼は事件の度に現場付近で、意識を失って倒れている自分に気付く。見えない何かが自分を突き動かしている―。北米インディアンの伝承を現代に蘇らせる衝撃の長編ホラー。
(「BOOK」データベースより)
『トリックスター(下)』
ムリアル・グレイ/1996年/299ページ
平和なスキーリゾートで起きた惨劇の真相を、孤独に探るサム。彼は、記憶の底に沈むある忌まわしい経験から、自らの出自を呪い、インディアンとしての誇りを捨てて、偽りの幸福を守ろうとしていた。だが、狡猾にして残虐な殺戮者トリックスターと対峙できるのは彼しかいない。追いつめられた者の衝動が向かう先は…?雪に閉ざされた小さな街を舞台に、人間の中に眠る原初的な力を描く戦慄の長編ホラー。
(「BOOK」データベースより)
スキーリゾートとして栄える山奥の町、シルヴァー。インディアンの血を引く主人公サム・グレイは白人の妻、子供たちと共に暮らしていた。だが町では凄惨な殺人が連続して発生、サムは事件のたびに自分が気を失って倒れていることに気づく。そして明らかになる邪悪な精霊「トリックスター」の存在。忌まわしい記憶から過去を封印していたサムは、トリックスターに対抗すべき術を失っていた。殺人を犯しているのは自分なのか? 思い悩むサムを尻目に、シルヴァーを覆う邪悪な空気はその濃さを増していく…。
サムを主人公とする現代の話と、彼の曽祖父たちについて語られる1907年の話が並行して語られる構造。スピリット、シャーマンといったインディアン達のカルチャーが物語に大きく関わってくるのに加え、根強く残る彼らへの差別意識といった問題にも触れられている。とは言え固い雰囲気はなく、やたら多い人物の把握に手間取る序盤さえ乗り切ればあとはスイスイと読める。時おり挟まれる死体損壊描写はやたらえげつないが、執拗さは無いのでそう不快にはならないはず。
サムはとにかく報われない男で、殺人事件の時にアリバイが皆無というどう考えても怪しい状況なうえ、自分を信じることができず愛する家族とも次第に距離ができていく。そもそもサムが過去を捨てたのは毒親のせいであり、彼を導くはずだったシャーマンの師匠も性的いたずらをしたせいでサムの心を閉ざす原因になってしまっている。この師匠はトリックスターの復活を知り、老いぼれた姿でシルヴァーへやって来るのだが、まあその活躍というか末路は推して知るべし。
最終的には自らの過去と向き合ったサムは、家族と友人の力を借りつつ、人ならざるペテン師と対峙することになる。これまでのサムの苦難の連続を知っている読者からすれば感慨深いクライマックスだ(まあサムが人を信用しなさ過ぎるせいで勝手にドツボに嵌っていった感もあるのだが)。最悪中の最悪の状況から再起する男の物語であり、ルーツへの誇りの重要さを説く物語である。
著者のムリエル・グレイの著作はそう多くなく、邦訳されているのも本書のみである。あとがきにもあるように、映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』やベストセラー『リトル・トリー』『今日は死ぬのにもってこいの日』など、インディアン関連の作品が注目を浴びていたことが翻訳のきっかけかもしれない。
★★★(3.0)