『東京怪奇地図』
森真沙子/2001年/230ページ
そっちに行ってはいけない。燃え上がる磔の女、水底に引きずりこまれる男、神隠しの無闇坂。鮮烈なヴィジョンが宵闇の中に浮かび上がる。乱歩、鏡花、荷風、龍之介…が、幻視した物語が時間を逆流し今ここに甦った。東京に息づく異界の声が、あなたを呼ぶ。流麗な文体で綴る伝奇ホラーの傑作。
(裏表紙解説文より)
全6編から成る怪奇幻想短篇集。それぞれの物語が“東京の町”を舞台とし、その土地に縁の深い“文豪”が重要な役どころとして登場するのが特色だ。
「夢ぞかし」-水商売をしている生絵は、馴染み客の青年実業家・郡と千束吉原の酉の市へ出かけることになった。待ち合わせ場所へ向かう途中、彼女はかつて付き合っていた男・黒部のことをなぜか思い出す。生絵は黒部に借りた金を返さないまま、逃げるように姿を消していたのだ。群衆の中にふと黒部の顔を見た気がして、生絵は人気のない路地裏へ走り込む。…いつしか彼女は、一軒の店の前に立っていた。店番のなつ子は“いま式部”とあだ名され、樋口一葉の名で作品を世に送り出している才女だった。生絵は以前、なつ子に恋文を代書してもらったことを思い出す…。
過去と現在がシームレスに溶け合う幻想譚。縁日の賑わいに満ちた浅草・千束通りには、確かに人知れず迷い込んでしまいそうな、淡い境界の気配がある。
「人形忌」-わたしが姉のように慕っていた女優・宮谷毬子が世を去った。火を病的に嫌っていた毬子は水の町・深川を愛していたが、死因は煙草の不始末による火災だった。1年後、熱狂的な毬子ファンである人形師・鍵屋丈之助による追悼公演が開かれることになる。毬子に生き写しの人形を目にして驚くわたしに、丈之助は「公演には氏家さんも来るのかい?」と尋ねる。かつて、毬子と演出家・氏家竜彦、そしてわたしの3人で丈之助を訪ねた日のことが思い出される。霊感があるという丈之助は、氏家の前世は鶴屋南北で火難の相があると告げていた。「火遊びは止めろということか」と笑った氏家だったが、彼が毬子と深い仲にあったことは公然の秘密だった…。
ある人物の“歪んだ愛”が引き起こす惨劇を描くミステリ小品。南北という作家の持つ仄暗さや、どこか乾いた感性への言及も興味深い。
「無闇坂」ー友人の美由紀が行方不明になった。「美由紀が帰ってくるまで、千駄木のアパートに住み込んでほしい」という彼女の母の頼みを受け、わたしは風情ある街並を歩き回っていた。ある夕暮れ、美由紀に似た服装の女性を見かけて後を追うが、女性は坂を登りきったところで姿を消す。無闇坂と呼ばれるその坂は、途中でふっつりと途切れ、どこにも繋がっていなかった。地元の青年によれば、かつてこの坂で神隠しに遭った少女ふたりが憑依された末、除霊中の住職に殺されるという凄惨な事件が起きたという。青年の助けを借りつつ事件のことを調べ始めたわたしは、平井太郎なる人物が書き残した一連の惨劇についての覚え書きを発見する。覚え書きには見事な推理に加え、謎がより深まるような不可解な箇所もあった…。
平井太郎は、かの江戸川乱歩の本名である。本作もミステリと怪奇が見事に融合した、乱歩作品の雰囲気濃厚な一編。あえて解決しない謎を残すラストで一気にホラーへと転ずる。
「水妖譚」ー大雨の夜、英文学教授の岡部は吾妻橋から誰かが身を投げるのを目撃し、川岸へ駆け寄る。濁流の中から少女を救い上げた瞬間、ホホホホ…という女の笑い声を耳にした気がした。少女に「なぜ吾妻橋なんかから飛び込んだのか」と尋ねると、「言問橋です、飛び込んだのは」と答え、いつの間にか姿を消してしまった。不審に思う岡部だったが、ある日、泉鏡花の『黒髪』を読み、自分が聴いたものと同じような女の笑い声が作中で書かれていることを知る。そうだ、自分は前にもこの声を聞いたことがある。封じ込めていた記憶がよみがえると共に、あの少女も再び岡部の前に姿を現す…。
蠱惑的な少女に魅入られる中年男性の物語。だが本当に魅入られていたのは誰なのか、そしてそれはいつからだったのか。鏡花的な幻惑と妖しさの片鱗を感じさせる一編。
「偏奇館幻影」-高校教師の水木は、ふとした気の迷いから、横恋慕した相手の家に放火しようと考える。深夜、麻布の住宅地で枯葉を集めマッチの火を近づける彼女だが、老女に声をかけられ正気に戻り、慌てて火をもみ消す。早くこの場を去るように告げる老女は「ヘンキカンを燃やしたのはアタシなんですよ」と囁くのだった。偏奇館といえば、後年の永井荷風が麻布で住んでいた邸だが、放火ではなく空襲で焼け落ちたはず。老女と荷風、偏奇館にはどのような関係が…。
収録作の中でも特に文豪へのスポットが強い印象。『断腸亭日乗』は未読だが、荷風がそんなにハチャメチャな人だったとは知らなかった。今度読んでみよう。
「田端三百四十六番地」-短歌誌の編集長をしている“彼”は泥酔して乗り過ごし、新宿へ向かうはずが田端に着いてしまう。ここは彼の生まれ故郷だったが、訪れるのは久しぶりだ。当てもなく歩いているうち、回送電車の中に見慣れたシルエットーー芥川龍之介の姿を見る。20年前にかの作家が自殺したとき、“彼”はまだ幼稚園児で、次男の多加志と同級生だった…。
文学そのものを題材にした怪奇小説。主人公の“彼”の名は作中に出てこないが、巻末の参考文献で最後に挙げられているその人である。闇と幻想が色濃く漂う本書は、解き明かせぬ謎に満ちた“三大奇書”のひとつの誕生を示唆して幕を閉じるのだった。
★★★★(4.0)

