『ラヴクラフト恐怖の宇宙史』
H・P・ラヴクラフト+C・ウィルソン(著)、荒俣宏(編)/1993年/647ページ
恐怖小説の極北に怪しく光るラヴクラフトが紡ぐ壮大な幻想世界。そこにはモダン・ホラーの原型ガある。その膨大な作品群から厳選した傑作と奇才コリン・ウィルソンがラヴクラフトに捧げた作品を収録した〈クトゥルー神話〉の決定版オリジナル・アンソロジー。
(「BOOK」データベースより)
ラヴクラフト・フリークとしても知られる、荒俣宏が編纂した短篇集。13編の短~中編とエッセイ「わが幼年期を語る」を収録しており、うち1編はコリン・ウィルソンのクトゥルフ神話作品。ちなみに巻頭2作以外の訳も編者の荒俣宏の手によるもので、Cthulhuがク・リトル・リトルという謎の読み方になっているものの(この読み方をしてるのはドナルド・ワンドレイだけらしい)、比較的読みやすい訳文である。
「廃墟の記憶」-青白い月に照らされる谷底。繁茂する植物に埋もれる、崩れた石柱や奇怪な像の周りを“尾なし猿”どもが徘徊する…。
わずか2ページの散文詩ながら濃密な情景描写を味わえ、起承転結のオチもきれいに決まっている。紀田純一郎訳。
「アウトサイダー」-長い間、朽ちかけた城の中でひとりぼっちで暮らしてきた主人公。孤独に苛まれた彼は城を出ようと決意し、月明かりの照らすなか夜道を進んでいく。2時間も歩くと、見覚えのある彼自身の城とそっくりの建物にたどり着いた。宴を開く人々のにぎやかな声に誘われ、彼が場内に入ったとたん、阿鼻叫喚の騒ぎが起き…。
ラヴクラフトの代表作とも言える一編。シンプルな筋立てでありながらも、主人公はいつから“こう”だったのかについては様々な解釈もできる。タイトルも含め、孤独を抱えた主人公の心情風景のようにも思えてくる。平井呈一訳。
「ニヤルラトホテップ」-エジプトからやって来た、ニヤルラトホテップなる人物の会合に参加した主人公。恐ろしい幻影を見せられ、こんなものはインチキだ、まやかしだと抗議したため会場を追い出されてしまう。そして、帰路につく彼らを新たなる恐怖が襲う…。
クトゥルフ神話のキーパーソンのひとり、ニヤルラトホテップ(ナイアルラトホテップ、ニャルラトホテプ)が初登場した作品。ラヴクラフトが見た悪夢を基にしているとのこと。
「錬金術師」-とある伯爵家の末裔であるアントワーヌは、自らの命が残り少ないことに恐れおののいていた。彼の家系で伯爵位を継いだ男性は、32歳になると必ず命を落とす。600年前、アントワーヌの祖先である伯爵はミッシェルという錬金術師をいわれなき罪で殺害したため、その息子であるシャルルから呪いをかけられたのだという。孤独のまま城で過ごしていたアントワーヌは、誰も足を踏み入れたことのない城の地下で、奇妙な老人に遭遇する…。
直球のゴシックホラー作品。「まあ、そういうオチなんだろうな」と予想した通りの展開で終わる凡作だが、雰囲気はよく出ている。
「妖犬」-主人公とその友人セント・ジョンは、墓場荒らしで手に入れた盗品をコレクションする罰当たりな趣味を持っていた。オランダの教会墓地で、かの「ネクロノミコン」にも記されていた翡翠の護符を手に入れたふたりは思わぬお宝の発見に沸き立つものの、妖しい気配を周囲に感じるようになる。セント・ジョンが何者かに身体を引き裂かれて凄惨な死を迎えたことを知った主人公は、護符を持ち主の墓へ戻すためオランダに渡るのだが…。
話自体はよくある因果応報モノだが、「ネクロノミコン」が初めて登場した作品として名高い。ちなみに本作に出てくる妖犬(魔犬)はイマイチ正体が分かっておらず、クトゥルフ神話の怪物たちの中ではマイナーな存在である(ティンダロスの猟犬とはまた違う存在らしい)。
「異次元の色彩」-アーカムの農夫、ガードナーの家の井戸近くに隕石が落下した。ミスカトニック大学の教授たちが調査に赴いたところ、隕石の中に奇妙な色彩を放つ球体を発見。だが球体も隕石もいつしか消えてしまう。その後、ガードナーの農場では異常な色彩を放つ作物や、奇形の動物たちが見られるようになる。家畜もガードナー家の人々も弱っていき、草木は灰色に枯れていく…。
豊かな農場がこの世ならざる「色彩」に汚染されていく様子のおぞましさは唯一無二。非常に映えるビジュアルのホラー作品であり、これまで4回も映画化されている。
「忌まれた家」-プロヴィデンスの一角に建つ、今は誰も住んでいない“忌まれた家”。そこでは、かつて多くの人々が怪死していた。主人公と伯父は家主の許可を得て、忌まれた家にさまざまな機械や放射物質発生装置、火炎放射器などを持ち込んで調査を開始する。悪臭に満ち、蛍光を放つ黴に覆われた地下室で、彼らが遭遇したものとは…。
実在する屋敷をモデルにして書かれたという歴史ホラー。退屈な箇所も多いが、叔父のえげつない“最期”や、地下室に住まう正体不明の生物の造形などは良い。
「闇に這う者」-プロヴィデンスに移住した、作家のロバート・ブレイクが怪死する。生前のブレイクは、家から見える廃教会に興味を抱いていた。そこではかつて〈星の智慧〉派なる集団が、深淵より邪悪な存在を召喚したのだという。こっそりと教会に忍び込んだブレイクは奇妙な石柱と、損壊した白骨死体を発見。死体は行方不明になっていた記者のものらしかった。石柱から別次元の“何者か”の存在を察知したブレイクは、その場から逃げ出すが…。
さまざまなクトゥルフ関連アイテムが景気よく出てくる一作。“闇に這う者”とはかのニャルラトホテプのこと。ロバート・ブロック「星から訪れたもの」の続編で、作中のロバート・ブレイクのモデルもロバート・ブロック自身である。正直この一作だけ読んでも面白さは伝わりにくいが、ラヴクラフトの遺作であり、前述の内輪ネタも含めて取り上げられることの多い作品。
「狂気の山にて」-ミスカトニック大学のダイアー教授率いる南極探検チームが、奇妙な標本を発見する。五芒星のような頭部に樽状の身体と巨大な翼を持ち、植物とも動物ともしれない性質を持つ、見たこともないような生物――。標本を発見したレイク教授の分隊は興奮ぎみに世紀の大発見を伝えてきたが、連絡が取れなくなってしまう。神秘的な山脈の麓にあるレイク分隊のキャンプを訪れたダイアー教授たちは、隊員たちと犬の惨殺死体、そして塚の下に埋められた怪生物の標本を発見する。唯一、遺体が見つからなかった隊員・ゲドニーを探すため、ダイアー教授は大学院生のダンフォースとともに、狂気の山脈へと向かう。山々の向こう側には、巨大な建造物で埋め尽くされた迷宮が広がっていた。この世の常識を覆す古代都市で、ダイアー教授たちが見たものとは…。
クトゥルフ神話の入門編にして、その醍醐味がすべて詰まっているとも言える中編。ただ正直なところ、描写が濃密すぎて非常に読みにくいのも確かである。遺跡からクトルゥフ神話の基本設定を解読するパートからはだいぶ盛り上がってくるのだが。
「魔女の家で見た夢」ーミスカトニック大学の学生・ジルマンは、かつて魔女ケザイア・メースンの隠れ家だったという屋根裏部屋に住んでいた。だがジルマンはいつしか奇妙な夢を見るようになり、夢遊病に悩まされるようになる。夢の中では、老婆とその使い魔であるブラウン・ジェンスンが、ジルマンを「アザトート神の王座」に誘おうとしていた…。
アンソロジー等への収録も多く、Netflixのドラマ「ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋」などでも映像化されており、比較的知名度が高いと思われる一編。個人的には散漫な印象であまり好きではないが、オッサンの顔をした巨大ネズミというブラウン・ジェンスンのインパクトある造形と、主人公の無惨な最期は良いと思う。「忌まれた家」と同じようなこと言ってるな。
「ランドルフ・カーターの弁明」-ランドルフ・カーターは、友人のハーリィ・ウォレンに連れられ谷間の古い墓地へと向かう。アラビア語の本をもとに何かを探しているらしいウォレンは、ワイヤーでつながれた電話機をカーターと共に地上に残し、墓地の地下深くへと潜っていった。しばらく後、電話機から「今すぐそこから逃げろ!」と叫ぶウォレンの絶叫と悲鳴が響いてきた…。
クトゥルフ神話作品でたびたび登場することになる、ランドルフ・カーターの初登場作品。彼のモデルはラヴクラフト自身で、本作もラヴクラウトが見た夢を基にしているとのこと。キレのいいラスト1行のためだけのような短編。
「銀の鍵の門を越えて」-ランドルフ・カーターが失踪した。彼は不思議な「銀の鍵」を携え、車に古い羊皮紙の文書を残して姿を消したのだという。遺産分配のため集まった人々の中には彼の死を信じない者もおり、口論が起きる。するとその場にいたインドの神秘家・チャンドラプトラが「自分はカーターの身に起きたことを知っている」と、無表情かつ人間ばなれした口調で話し始めた。カーターは銀の鍵で〈第一の門〉を開け、ネクロノミコンに記される〈案内者〉と出会った。そして〈究極の門〉を開き、宇宙の真理とともに自分があらゆる時間、あらゆる空間に存在することを知った。好奇心のまま、豚のような鼻と鉤爪を持つ惑星ヤディスの住民と同化したカーターだが、彼が元に戻るにはあの羊皮紙の文書が必要だった。地球に戻り羊皮紙を手に入れるため、ヤディスの民と化したカーターは銀河を股にかけた大冒険を繰り広げる。そして、時空を越え地球に到着した彼は…。
ラヴクラフトの短編「銀の鍵」に感銘を受けたE・ホフマン・プライスが合作を持ち掛け、プライスの書いた後日談をラヴクラフトが書き改める形で完成した作品。神秘学的な中盤から、一気にSFへと変貌する終盤の展開が見事。
「ロイガーの復活」-ヴォイニッチ写本の調査を進めていた英文学者のポールは、あるきっかけから写本に隠された暗号の解読に成功する。写本の真のタイトルが「ネクロノミコン」であることを知ったポールは、ラヴクラフトという作家の著作に同じ書物が登場していることを知る。さらに彼は、怪奇小説家のアーサー・マッケンの著作にある「アクロ文字」もネクロノミコンに関連していると推測する。イギリスに渡り、マッケンの故郷であるウェールズで調査を続けるポールは、地元の伝承に詳しいアーカート大佐に話を聞くことにした。どこか信用のならないうさん臭さを持つ大佐は、「かつてムー大陸には地球の外から飛来したロイガーなる一族が住んでおり、人類はロイガーに作られたのだ」と荒唐無稽な物語を語り始めるのだった…。
前述のとおり、ラヴクラフトではなくコリン・ウィルソンの手による中編。先達の怪奇小説家たちへのリスペクトを交えつつ、壮大なスケールの恐怖を描く佳品である。ただ、この角川ホラー文庫収録版は物語のラスト部分がカットされており、オチが分かりにくくなっている。本来はポールとアーカートを乗せたセスナが行方不明になったことを、ポールの甥が付記するというかたちで締めくくられている。
傑作集というよりは、ラヴクラフトの小説世界を知るうえで重要な作品をセレクトしたという印象。改めて読んでみると、ビジュアル的な魅力を備えた作品の多さも後年の人気につながっているのではと感じた。小説を読みなれていないクトゥルフ初心者は、田辺剛のコミック辺りから触れるのがベストだと思う。
巻頭には編者によるイントロダクション、巻末には評論「文化現象としてのラヴクラフト」が掲載されており、これも読みごたえがある。ラブクラフトが作品だけではなく、作家としての彼自身も「消費」されるに至った経緯もしっかり書かれている。
★★★☆(3.5)

