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悪意なき大量殺人鬼の内面をつまびらかに描く、大石圭の最高傑作-『死者の体温』

『死者の体温』

大石圭/2004年/310ページ

安田祐二は30歳。砲丸投げの元日本代表選手で、いまは不動産管理会社の経営企画室に勤めるエリート会社員。ハンサムで温厚。にこやかで職場や近所での評判もよく、湘南の洒落た高級マンションにひとりで暮らし、クラシック音楽とスコッチウィスキーを愛し、野良犬を可愛がり、野鳥に餌をやり、そして…次々とひとを絞め殺しては、下田の別荘の庭に埋めているのだった…。トラウマも動機も悪意もない史上最悪の連続大量殺人。

(「BOOK」データベースより)

 

 大石圭の最高傑作は? と聞かれると、変態性と切なさとエンターテインメントを兼ね備えた『アンダー・ユア・ベッド』を挙げるファンが多いのではないだろうか。ただ「ホラー」として考えれば、個人的にはこの『死者の体温』が頭ひとつ抜けているように思える。デビューから4本目の作品であり、大石圭自身が「ターニングポイント」と語る本作は、とある大量殺人鬼が自らの‟日常”を一人称で語るという『湘南人肉医』『殺人勤務医』などでおなじみのパターンだが、上記のあらすじにある通り「トラウマも動機も悪意もない」点が異質である。読みこめばトラウマや動機らしきものは見えてくるのだが、それを考慮しても主人公・安田裕二はいわゆる「サイコパス」とは言い難い男だ(平凡とも言い難いが)。

 独り暮らしのサラリーマン・安田裕二は、老若男女問わず常に絞殺する相手を探している。部屋に呼んだ商売女。電車ですれ違ったサラリーマン。知り合いの主婦。公園にいた少年。会社の同僚。面接に来た中途採用希望の男。自分の義母。ミック・ジャガー。モハメド・アリ…。親しい知人にまったくの他人、無名の人から有名人まで、彼らの首に手をかけ喉を握りつぶす様を想像し、たびたびそれを実行する。安田はすべての人間にドラマがあり、誰かにとっての大切な存在であり、それぞれが己の人生を必死に生き抜いてきたことを知っている。人間は誰にも替えが利く存在で、100年後には皆死に、歴史からは忘れらされるちっぽけな存在であると同時に、唯一無二のかけがえのない存在であることを知っている。だからこそ殺すのである。殺す前には相手のことを徹底的に調べ、本人と対話し、人となりをじゅうぶんに知り尽くしたうえで絞殺する。死体は別荘の庭に埋めているが、犯行はたびたび突発的で衝動的であり、いつ発覚してもおかしくない状況にある。安田はそう遠くない未来に自分が逮捕され、死刑になることを薄々自覚している。それでも殺人を妄想することも、実行することもやめようとはしない。そんな彼の日常がただただ、淡々と描かれていく。

 見知らぬ少年を絞め殺した時、安田は「自分は首を絞めたいのではなく、本当は首を絞めて殺されたかったのだ」ということに気づく。冷蔵庫に放り込んだ少年の遺体をたびたび引っ張り出しては、とうに折れている首に手をかけ、恍惚のあまり射精する安田。少しずつ腐乱していく少年の描写も相まって話は凄惨さを増していき、ついには決定的な破局が訪れる。最後の最後になって、読者は安田のトラウマらしきものを知るのだが――彼が常軌を逸した怪物であることは間違いないとしても、己の人生を必死に生きていたという点では安田もまた‟ごく平凡な人間”に過ぎない。誰よりも命の尊さを知りつつも、自分の命に価値を見出せなくなってしまった結果、命を奪い続けるしかなかった安田。そんな男の人生を追体験させるという「ホラー」小説。大石圭にしか書けない傑作である。

★★★★★(5.0)

 

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