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壮大過ぎてよじれによじれる主人公不在の物語。バーカー渾身の幻視世界に酔え!-『不滅の愛』

『不滅の愛(上)』

クライヴ・バーカー/1995年/500ページ

うだつのあがらぬ中年男ランドルフ・ジェフィは世界を支配するほどの男になりたいと野心を抱きながらも、郵便局で上司にへつらい、配達先不明の郵便物から、小金や小切手を漁る毎日を送っていた。ところが、ある日、ジェフィは累々たる屑の山から、とんでもない秘密を発見してしまう。百通に一通ぐらいの割合でみつかる奇妙な手紙。どうやら、われわれの知らない、この世ではない別の世界があるらしい。ジェフィは上司を殺し、探索の旅にでる…。

(「BOOK」データベースより)

 

『不滅の愛(下)』

クライヴ・バーカー/1995年/506ページ

ニュー・メキシコで、キスーンというシャーマンに、別の世界の秘密を知らされるジェフィ。彼は、人間の進化を早め、神のごとき存在に近づける物質〈ナシオン〉の存在を知る。自らの野望を実現されたかったジェフィは、薬物中毒の天才科学者フレッチャーに近づき、〈ナシオン〉を抽出させる。実験の結果、二人は霊的な存在に進化した。そして、まばゆい光と邪悪な影の、壮大な神秘の物語が始まる。

(「BOOK」データベースより)

 

 1991年に角川文庫から出ていた作品の復刊。なぜか角川ホラー文庫版の表紙はネット上にほとんど出回っていない(この項の表紙も角川文庫版のもの)。バーカーによれば〈アート〉三部作の第一部にあたる作品だが、第二部『Evervill』は未訳で、第三部はいまだに刊行されていない。とは言えこの作品だけでじゅうぶん過ぎるほどのボリュームはあるし、次回作への伏線や未解決の謎も散りばめられているものの、物語としては完結している。約1000ページ本編のうち、上記のあらすじで語られているのは序盤も序盤の第一章の部分に過ぎない。

 

 「第一章 メッセンジャー」-独身中年で薄らハゲでいずれ世界の覇者になることを夢見る郵便局員・ジェフィ。彼はオマハ中央郵便局で配達先不明の郵便を仕分けているうち、世界の真実に気づいた人々が、誰に宛てるわけでもなく書きなぐった文章が混じっていることに気づく。そうした手紙には「共時性」「アート」「ショール」といった言葉が頻出していた。この世にはもう1つの世界があることに気づいてしまったジェフィは、上司を殺害して放浪の旅に出る。旅の果てに、ジェフィは時間の輪(ループ)なる場所でショールの一員を名乗るキスーンという老人と出会う。

 キスーンは語る。人間は生涯に3度だけ…生まれた時、死ぬ時、人を愛した時にクィディティという夢の海へ行ける。アートはクィディティに行く手段のことであり、ショールはクィディティを守る一族のことだ。キスーンはジェフィの身体を乗っ取って時間の輪から出ようとしたが、ジェフィはナイフで脅してその場を去る。

 ジェフィはフレッチャーという天才科学者と出会う。彼に命じて作らせた薬品「ナンシオ」は自ら意思を持ち、生物を進化させる効果を持っていた。猿から進化した少年・ラウルと暮らしつつナンシオを完成させたフレッチャーだが、ジェフィの秘めた邪悪さを恐れ、ナンシオを破棄しようとする。激しく争い合うジェフィとフレッチャー。ナンシオに侵され、超人的な存在と化した2人による、いつ終わるとも知れない戦いが始まった。ジェフィは人の恐怖からテラタという怪物を、フレッチャーは人の夢と空想からハルシゲニアという兵士を作り出すことができた。悪と善の軍団は壮絶な戦闘を繰り広げたが、ジェフィもフレッチャーも深く傷つく。力尽きた彼らは、パロモグローブという町の外れにある森へと墜落する…。と、ここまでが全体の10分の1にも満たない80ページで語られる。無数の専門用語に加えて壮大な世界観がハイスピードで展開され、ただただ圧倒されるばかり。

 「第二章 ヴァージン・リーグ」-ジェフィ改めザ・ジェフとフレッチャーは地中深くで力を蓄えていた。彼らのいる場所まで亀裂がつながる湖で、4人の少女たちが泳いだところ、彼女らは次々に妊娠し、街のスキャンダルとなる。

 「第三章 解き放たれた精霊」-そして20年後。生まれ故郷のパロモグローブにひとり帰ってきた少年ハウイと、街で働く少女ジョー・ベスが恋に落ちる。本人たちは知らなかったが、ハウイはフレッチャーの、ジョー・ベスはジェフの子供とも言える存在だった。そしてはるか地の底で目覚めの時を迎えるジェフとフレッチャー。突如起きた地割れに巻き込まれ、ジョギング中の人気コメディアン、バディ・ヴァンスが墜落死する。だが彼の死はこの後に起きる惨事の前触れでしかなかった…。

 「第四章 原初の光景」-新聞記者のグリロとその友人のテスラは、ヴァンスの記事を書くためパロモグローブで調査を開始する。一方、地下を抜け出したジェフはジョー・ベスの双子の兄であるトミー・レイと遭遇、自分が父親であることを告げる。トミー・レイはジョー・ベスを宿敵の息子から連れ戻すため行動を開始、ジェフもテラタの軍勢を創り始める。ジェフに遅れる形でフレッチャーもハウイと遭遇するが、ハウイはジョー・ベスが巨悪たる存在の娘であり、自分たちの敵になるという事実を受け入れようとしなかった。失意のフレッチャーはジェフとテラタの軍勢に単身立ち向かい、自らの身体を燃やして壮絶な最期を遂げる。

 「第五章 隷属した者たちと恋人たち」-フレッチャーは死の際に立ち会ったテスラに自分の知る世界の秘密を伝え、かつての自分の研究所に残るナンシオをすべて破棄するよう彼女に遺言を残した。テスラは研究所跡でラウルと出会いナンシオも発見するが、そこへトミー・レイが登場しテスラを射殺する。ラウルはナンシオの効果でテスラを蘇生させるも、新たな力を得たテスラの姿はかき消えた。彼女はキスーンの元へと呼ばれたのだ。テスラはキスーンと会話の中で世界の真実を知る。魂の海であるクイディティ。その一方の岸には我々の住む世界コズムがあり、反対側にはメタコズムと呼ばれる世界がある。そして今、メタコズムに棲む種族、イアド・ウロボロスが侵攻を開始しているのだと。一方、トミー・レイもナンシオの力で変異し、死者の霊を従える力を得た。デス・ボーイを名乗り、死者の軍勢と共にパロモグローブへと帰還するトミー・レイ。

 「第六章 剥がされたベール」-ヴァンスの葬儀のため、パロモグローブに多くの有名人・著名人が集まっていた。ジェフは巨大な欲望を抱える彼らから強力なテラタの軍隊を生み出し、自らの力を増強する。一方でフレッチャーも、パロモグローブの人々が空想する存在を具現化し、ハルシゲニアの軍勢を遺していた。葬儀が行われるヴァンスの屋敷にジェフとテラタ、記事の取材のため訪れたグリロ、父のいる場所へ駆けつけるトミー・レイ、世界の真実を知りグリロの元へ戻るテスラ、ハルシゲニアと共にジェフを打ち倒すため立ち上がるハウイ、彼と行動を共にするジョー・ベス。ヴァンス邸で決戦が始まった…。

 「第七章 ゼロ地点の魂」-じゅうぶんな力を得たジェフはアートを発動、空間を捻じ曲げクィディティへの道を開いた。ハウイ、ジョー・ベス、トミー・レイは吸い込まれ、クィディティへと転送されてしまう。ねじ曲がった空間はすでにジェフにも制御不可能であり、イアド・ウロボロスはクィディティを渡ってこちらの世界への侵略を開始せんとしていた。

 テスラはショールの生き残りと出会い、ショールのメンバーを殺害しイアド・ウロボロスの侵攻を手引きしたのがキスーンであることを知っていた。空間を閉じ、キスーンの陰謀を阻止するにはジェフの力を借りるしかない。テスラ、グリロは地下深くに身を潜めていたジェフと再会、空間の門へと急ぐ。彼らの前にラウルの身体を乗っ取ったキスーンが現れるが、ジェフはナイフを振るってキスーンと対峙。時間の輪へと入り込んだテスラはキスーンが隠していた原爆を爆発させ、イアドの軍勢を吹き飛ばした。

 グリロはクィディティからハウイ、ジョー・ベスを連れてカリフォルニアへと戻った。多くの犠牲は払ったが、不滅の愛を持ち得る恋人たちは新たな未来へと踏み出した。パロモグローブで起きた真実の物語を書き残そうと決意するグリロ。普段の生活に戻った彼の前に、死んだと思われていたテスラが姿を現し、グリロに告げる。イアドの軍勢は次にニューヨークを狙うだろう。我々なアートについてさらに知る必要がある。それを知るにはすべてが始まった場所、オマハ中央郵便局へと向かわなければ…。

 

 そしてこの偉大で神秘的な物語(The Great and Secret Show)は、最後に再び愛を確かめ合うハウイとジョー・ベスの2人の姿で幕を閉じる。前述の通り、三部作として構想された物語の第一部であるため未消化の部分も少なくないのだが、それは別として主役と思われたハウイとジョー・ベスの2人が終盤、影が薄くなってしまうのが気になる。普通、善と悪の申し子である彼らが愛のパワーやらなんやらで事件を解決するのかと思うじゃないですか。実際はいかにもな脇役だったテスラがどんどん重要キャラになっていき、最終的に決着を付けるのも彼女という展開には良いとか悪いとか抜きに意表を突かれた。主人公らしい主人公が不在というか…。ていうか原爆でイアド退治できるんだとか、キスーンも普通にナイフ有効なんだとか、終盤は首をかしげざるを得ない展開が多い。序盤で広げるだけ風呂敷を広げておいて、結局はひとつの街の崩壊で終わるという「よくあるモダンホラー」に落ち着いてしまった感もなくはない。

 話の筋そのものよりは、バーカーが描き出す壮大な幻視世界を楽しむべき作品だろう。あまりに規格外な第一章は秀逸だし、テスラが時空間を越えて存在を確立する場面のサイケな描写も印象的だ。物語のキーワードとして序盤から言及され、終盤ついにその全貌を表すクィディティのこの世のすべての理を拒否したかのようなたたずまいも悪くない。

★★★☆(3.5)

 

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